こんちには。二十年来「自棄酒マン」を自称してきた者です。長らくFC2ブログを利用してきましたが、このたびこちらに引っ越させていただきました。
別段FC2に不満があったわけではないのですが、近年の急速なブログ文化の衰退(≒日本人の長文リテラシーの衰弱?)に伴い、こんな拙い文章であっても少しでも多くの人の目に触れられるにはどうしたらよいかと考え(とはいえ"Wordpress文体"のブログは嫌いだしnoteはちょっと不安だし)、bloggerでの出発を決意いたしました(google様とはもはや一蓮托生ズブズブの仲ですので)。
とはいえ、今の自分にできることといえばどこぞやのスーパーなどで酒とつまみを調達して公園でいただくくらいしかないので、内容はこれまでも大して変わらないと思います。ただ、今までは“いい酒を飲みたい”“いいスーパーで買いたい”気持ちが先走るあまり、公園の選定がおざなりになっていた。私ももう老い先短いのだから、少しでも居心地のよい公園を見つけてゆっくり寛ぎたい。そのためには酒やつまみの内容には多少目をつぶるのは仕方ないかと思います。もっといえば年がら年中酒のんでばかりいられるわけではないのだから、時にはアルコール抜きで公園で過ごすことも視野に入れています。
ところで私、2006年に天下のちくま文庫から『カップ酒スタイル』という本を出させていただいたのですが(ちなみに担当編集者は今をときめく玉川奈々福さんでした)その中の「『公園でカップ酒』ノススメ」の稿で、次のようなことを書いております。15年後の己の姿をかなり的確に言い当てているので、少し長いですが紹介します。
私、最近よく「老い」について考えるのである。まだ自分自身は老けこむ齢ではないが、近しいところで起こる出来事、それに世の中のさまざまな事象を見聞するにつけ、「老い」に対する漠然たる不安を感じずにいられないのだ。
ない頭で思いを巡らして、現在のところ得られている唯一の結論は「とにかく外界との接触を密にすること」である。要は、自分の殻に閉じこもらないこと。常に外とのチャンネルを維持しておくことで、老いに伴うさまざまな苦難を克服できるのでは、と。
しかし、私はあまり社交的なほうでなく、人に比べて友人が多いとはいえない。老後を友に囲まれてわいわいと過ごすのは難しそうだ。
外には出たい、でも友は少ない……その妥協点として、私にカップ酒を持たせ、公園に向かわせることになったのかもしれない。
カップ酒を手に公園でひとときの寛ぎの時間を持つ。たしかにその姿は一見孤独に映るかもしれないが、実は外の空気に触れ、直接言葉を交わすことはないにせよ人と接触しているという点において、決して孤独ではないのではないか、私はそう思う。
“老いに伴うさまざまな苦難”は全然克服できていないけれど。
とにかくも、今の私にとって日常の煩わしさから逃れられる場所は、結局公園のベンチしかありません。個人的事情により頻繁なブログ更新は困難かと思われ、記事の時系列がバラバラになることも想定されますが、今後も恥を忍んで“公園酒生活”を綴って行きたいと思いますので、よろしくお付き合い願います。
楽しみにしています。
返信削除頑張ってください。
先ほど、『カップ酒スタイル』の中古本が、はるばる北海道より届きました。
返信削除こちらも楽しみです。
球磨焼酎 極楽・誉国光上州クラシック・CHANTONETを乱れ呑みしつつ拝読いたします。